学問のすすめ
本当になんでかわからないが、なぜか歴史の勉強をしていました。^^;
まじでどうしてこうなった!!状態!汗
それもこれもこの記事のせい!
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar229433
ではなく、この記事のコメント欄にある「ポルポト」のせい。笑
「ポルポト」ってどんな人だろう・・となぜか気になってしまい調べました。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n87481
超簡単にまとめると、カンボジアを自分の理想郷にするために
とにかく知恵のあるものを大量虐殺した人。
この記事の最後のほうに最終的には14歳以下の国民が全体の85%だった
というのには、さすがに驚愕しました・・・・。
そんなことが実際にあったなんて信じられないですが、本当なんでしょうね・・。
それから、その記事のリンクにあったのでそのままの流れで
なぜか日清戦争について学ぶこと・・・。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n70788
ここで驚いたのが『凌遅刑』という、めちゃくちゃ残酷な処刑方法が行われていたこと。
この処刑方法は前から知ってはいましたが、
いつの時代に行われていたというのは知りませんでした。
こんな近代だったとは・・・。まじで驚いた。
開化派っていうことは、日本でいうところの幕末志士みたいなものか・・。
むごいなぁ・・・。
ここで福沢諭吉さんの『脱亜論』というのを知りました。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1787.html (念のため:写真注意)
こういう風に歴史を横に切ってみていくと、非常に分かりやすいなぁと思いました。
歴史って当時の出来事のことなので、すべてのことには流れがあるのがわかります。
全文読みましたが、諭吉さんが神がかりすぎていてビビる。
「古くて新しい」というのはこのことか、と思いました。
その後、そのままの勢いでなぜか日露戦争について学ぶことに・・・。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n73521
黄禍論というのがなかなか面白い。
日本がまさかロシアに勝つとは思ってもいなかったわけですなぁ。
というか本当の意味で勝ったわけではないというも面白い。
最初から殲滅ことを目的とするのではなく、
そんなのは絶対に無理だから有利な条件で講和することを目的にしよう
と、目的を別に定めているのはよいことだと思った。
その後、僕の興味は福沢諭吉に移り、
僕は長年福沢諭吉は大分の人だと思っており
ただ生まれたのは大阪なので、それはどういうことなのかと不思議でした。
超簡単に言えば、中津藩というのが大分にありまして
その中津藩の大阪支部的な場所が大阪にありまして、福沢諭吉はそこで生まれた
というわけでした。
その後、父親と死別し大阪を離れ大分の中津藩に母親と帰って行ったわけです。
つまり、生まれは大阪で育ちは大分という感じですかね。
そしてこの中津藩もなかなかすごいというのが分かりました。
豊臣秀吉の軍師「黒田官兵衛」という人物がおさめ、基礎を作っていたそうです。
この黒田官兵衛さんは2014年の大河ドラマの主役らしい!ということで、
今中津は盛り上がっているようです。
福沢諭吉といえば、「学問のすすめ」です。
僕は読んだことはないのですが、ネットで調べると簡単にでてきました。
http://www1.sphere.ne.jp/dia/gakumon/gs/GS1.HTM
初編だけですが全文読みました。
諭吉さん未来人だろ。まじで。
かなり考えが近代的だと思いました。
今読んでも全然通用すると思います。ホントに。
というのも、僕も最近すこし感じていたのですが
そろそろいい加減「英語」という壁を克服しなければならない。
というのを実感しています。
世界から学ぶことは多くあります。まさに幕末志士。
そういう最近思うこともあり、それとうまくリンクし、
福沢諭吉さんすげぇと思った次第なのです。
そりゃ1万円札になるのも納得だわ。まじで。
諭吉さんは慶応を作りましたが、早稲田を作った大隈重信さんは佐賀出身なんですね。
そう考えると九州人すごくねーか・・。と思ったりもしますが、
『脱亜論』いわく、長崎から文明が伝染し、と書かれていたので
当時の最先端は長崎だったんだろうと思いました。
であればそれも納得です。
長くなりましたが、
まぁなにわともあれ、とにかく僕が言いたいのは
中津ハジマタ!!\(^o^)/
ということだけです。
さすが我が故郷大分。
今度、中津いこう!